蝉 いろいろ マンガ家つげ義春氏が描いたもの ルアーフィッシングの疑似餌 よくぞ作ってくれた 釣りはしないので 釣り針は除去した 玉製のセミと記念撮影 江戸時代末の画家 葛飾北斎が描いたもの 「北斎漫画」より 蝉というよりもハエのように見える 虻(アブ)図 同じく虻図 こちらも虻図とされているが 蝉のように見える・・ おそらくセミでしょう 北斎が晩年出版した本 絵本彩色通 この本は絵の具作りに長けていた 北斎の娘である画家 応為(おうい)が協力した部分が 多いのでは、と思われます 説明の読み下しは以下 すみぐま(墨隈)図のごとし かしら(頭)よりこし(腰)迄 くさのしる(草の汁)うすくかけ こしより下はうすずみのくま 上へべろ(青色の絵の具)のふかし 目べんがらわうど(黄土) はな(鼻)づら同く はね(翅)ねずみのあやかりにて はさきにかけてくま也 元よりわうどのくまをとり なき尾べんがらすみのくま せうゑんじのきほひくま也 せよりこし迄うすきごふん(胡粉)のにじみ しりの先ごふんつつき 中国北宋(12世紀頃)の 八代皇帝、徽宗kisohが 描いた蝉 幕末から明治にかけて 活躍した画家、漆芸家 柴田是真Zeshin が描いた蝉 ルビはクロゼミでしょうか・・ 上の漢字も不明です アブラゼミのように見えます 馬蜩と書いてありますが 馬のルビが読めません ちょっと調べてみたら どうも、ヒグラシのことのようです 蜩はセミと読み ヒグラシ、カナカナ(セミ) の意味があるようです 津田青楓が描いた蝉 同じ年齢の熊谷守一 (1880年生まれ)と 同じような雰囲気なのが興味深い これも津田青楓 抜け殻と思われる イラストレーター 南伸坊さんが描いたセミ 著書「ねこはい」から 部分転載 かなかなかな、 と書かれているので ヒグラシでしょう 漫画家 杉浦日向子さんが描いたセミ 江戸時代の画家 河鍋暁斎が描いた蝉 これも河鍋暁斎 これは漫画家石ノ森章太郎 が描いた蝉 同じく脱皮をする蝉 南フランスの蝉 日本のツクツクボウシに似ている 熊谷守一が蝉を描いているのは 知らなかった 1961年(昭和33年)作 婦人之友社所蔵 2012年熊谷守一展図録より部分転載 日本画家・大沼憲昭氏が描いた蝉 ミンミンゼミでしょうか・・ 小さい方はニーニーゼミでしょう 岡山県在住 K様の作品 真鍮製 体長約2cm 本物の蝉の抜け殻から 型を取って鋳造したもの だそうですが すばらしい技術です その他の画像 画家・杉本健吉氏が 手慰みに作った勲章 蝉の部分は紙粘土だそうです 古代中国の三星堆遺跡と 同地域・同時代の遺跡から 出土した青銅製蝉のバックル 中国製の鼻煙壺 長さ10cm すばらしいデザインです 材質は墨玉と思われますが 翅の部分に入っている細かい 網目状の模様が よい雰囲気を醸し出しています これも鼻煙壺です 満天星梅花玉といわれる 珍しい玉ぎょく石で作られたもの 中国製で、長さ約8cm 京都在住の陶芸家 須藤久男氏の作品 香合 長さ約8cm 同じく須藤久男氏の作品 蝉の幼虫から発生した冬虫夏草 とても焼き物とは思えません 高さは60cm以上ある 大きな作品です 須藤さんとは石器仲間でもあります 革工芸家 河野甲さんの作品 蝉の幼虫から発生した冬虫夏草 これが革で作られているとは まず誰も気付きません これも大きな作品で高さは67cm 作品集「しずかな八月」より 冬虫夏草は造形作家の心を くすぐるようです どちらの作家も大きく拡大したもの として作っているところに 興味を覚えます 冬虫夏草図鑑などを見ると 実際は小さなものなのに そこに巨大な宇宙を感じ 圧倒されるのです 近所の神社の境内で・・ 朝7:30頃 羽化して間もないアブラゼミ 羽化したては真っ白だが こうして抜け殻に掴まって じっとしている間に羽に 模様が表われてくる 抜け殻 工房裏の草むらで 見つけた抜け殻 これは台湾に生息している蝉 「黒翅蝉」 翅を含めた体長は3.5cmほど 実に美しい 同じく台湾の蝉で 「黒翅草蝉」 翅を含めた体長は約2.5cm 体がタマムシのように 瑠璃色に輝いている これも美しい 同じくこれは「紅脚黒翅蝉」 翅を含めた体長は2.5cmほど すばらしいデザインであります 現代物の目貫 長さ2.6cm 蝉とその幼虫という 意匠はおもしろいが 江戸時代のものに比べると 細かいところの表現には ぬるいものがある 幼虫の背にカタツムリが這っているのは すばらしい発想であります これは日本で作られた 金属工芸品の留め金具で 煙草入れのものと思われる 鳴子(鳥おどし)に止まっている 蝉が表現されている 時代は江戸〜明治頃か・・ 巾は1.8cmほどの小さなもので 蝉の大きさは5mmしかない それでも、このように 拡大(15倍)しても 細かいところまで 入念に細工がなされていて 蝉の目や翅、紐の縒り目に 金が象嵌ぞうがんされています その技術の高さには驚かされます 江戸時代の金工技術の細かさは 信じられないほどのものが多く 特に刀剣の拵えの付属品には 贅が尽くされています 裕福だった商人や町人たちが 使っていたものとしては 矢立やたて(携帯用の筆記用具、 筆と墨)があります 明治になって廃刀令が出されると これらの金工職人たちは このような日用品の金具を 手がけるようになりました 日本刀の拵えに使われる目貫めぬき 長さは2cmほどの小さなもの 柄の飾りとして挟み込まれます 表面に施された タガネの彫り込みは見事です 上2点の大きさの比較 日本で作られた金属工芸品の 留め金具で 煙草入れのものと思われる 時代は明治頃か・・ 長さ3.8cm ドイツ製のペンダント・トップ これまた大胆な発想ですね 中央部の丸いところは真珠貝です この貝をいかそうとした結果 こういうデザインになったのかもしれません この形状は、なんとなく 愚庵さんが描いた蝉に 似ていますね・・ これは現代製のブローチ フランス製の焼き物 壁掛けになっていて、裏側に 鳴き声が出る装置が付けられている なんとも贅沢な・・長さ13cm YouTube動画 印籠いんろうと根付ねつけ よくぞ作ってくれた 印籠の長さ11cm、根付は6cm 中国製と思われるものですが なかなか出来はいい 新しいものです これは私が所有しているものでは ありませんが、アメリカの 根付作家が作ったものです Janel Jacobson 柘植(ツゲの木)で作られたものですが この技術には驚かされます 佩蝉(はいせん)という 古代中国の玉器ぎょくき 後漢時代(3世紀頃)のものと 思われるもの 石の種類は軟玉で長さ5.5cm 軟玉といっても硬い石で モース硬度は6以上あり ガラスや鋼はがねよりも硬い 因みに水晶(石英)は硬度7 翡翠(硬玉)も硬度は7以上あります 石質は硬度と緻密さ(比重)で決まり 同じ硬度でも比重の軽い水晶は 翡翠に比べると加工は容易です 軟玉は水晶よりも硬度は低いのですが 強靭な石質なので加工は困難です この硬く強靭な石を 古代の人がどのように 加工したのか興味が湧くところです (参照) この時代、中国では、人を 埋葬するときに魔除けとして このような玉(ぎょく)で作った蝉を 副葬品として使ったということです 佩蝉には頭部の先端に 紐を通すための穴が開けられており 死者の頸にかけたものと思われます 同様のものに 含蝉(がんせん)というものがあり これは口に入れていたということです 一説によると、埋葬するときに 人間にある九つの穴に 玉で作られた蝉を入れておくと 死体が腐敗しないということで こういった習慣が生まれたとされています 春秋時代の頃(紀元前500年頃)から 死者を埋葬する際に 口に玉を含ませることが行われ 漢代(紀元前200年〜紀元後200年)になると 蝉形の玉が 使われるようになったということです また、「続漢書」や「晋書」には 蝉形装飾が宮廷の侍従官の 冠に付けられた事が 記されているということです。 古代エジプトでは復活・再生の象徴として スカラベが貴ばれていましたが 古代中国の蝉はそれと同じようなもの だったのではと思われます 蝉は土の中にいた幼虫が木の幹に登り 成虫へと脱皮しますが こうした人間の目に触れやすい 蝉の生態にエジプトのスカラベと 同様の思いを抱いたとしても 何ら不思議はありません 身近な生物の生態の神秘に 人間の及ばない力を感じたのでしょうか 古代の日本では、銅鐸にこういった昆虫が 装飾されたりしていますが 蝉が施されているのは 私はまだ目にしたことがありません カマキリ、トンボ、アメンボウが線刻(陽刻) されているのは存在します(参照) 後漢時代後期のものと 思われる玉製佩蝉はいせん 長さ4.5cm これは唐時代か宋時代(7世紀〜13世紀) に作られたとされる玉の蝉 長さ4.5cm 中国ではこの時代仏教が盛んで 蝉という字が禅に通じるということで 玉で作られた蝉を身に付けるように なったということです 上のものと同じ種類の石で作られたもの これはごく新しいものです 長さ4.5cm 中国明時代のものとされる佩蝉はいせん 石質はおそらく蛇紋岩 長さ約8cm 両面同じように彫られている こういったものは珍しい これは軟玉で作られたもの 長さ6cm 中国製でそれほど古くはありません 日本のアブラゼミのような 色と質感の石です これも中国製でごく新しいもの ミャンマー産の翡翠(硬玉)で作られています 中国では、このように古代から現在まで 玉で作られた蝉は多く存在します 蝉ですが 違った方向から見ると このように見えます 実は二匹の蝉を合わせたような 形状に作られているのです この発想には脱帽です 長さ約5cm 材質は墨玉と思われます 硬度は6ほどで軟玉なんぎょくよりは やや柔らかな感じです これも上のものと同様に 二匹の蝉が合わさったもの なんともとぼけた表情です 中国製で、それほど 古いものではありませんが すばらしいデザインです 長さ5.5cm 材質は白玉はくぎょくです 硬玉こうぎょくで作られた中国製の硯 長さ14cm、中央部のフタの部分は8.5cm フタを外したところ 硬度7はあると思われる硬い玉を よくもここまで加工したものだと感心します これはごく新しいものですが 手のひらにズッシリと乗る大きさに ほれぼれとしてしまいます 長さ約12cm 墨玉と云われる独特な色あいと 質感の石で黒檀を 磨き上げたような質感です 寿山石に彫られた蝉 中国製 中国で採掘される寿山石は 印材としても使われています 柔らかく粘りがあり 加工が容易なため 中国では古来から精巧な 彫刻作品が作られてきました これはタグアナッツという木の実で 作られた蝉の根付 長さ約4cm 琵琶の実に止まっているところを 表現しているようです 蝉の形状から おそらく中国製と思われる ごく新しいものです これがタグアナッツ 直径約5cm 象牙と同じような硬さと質感なので 近年、根付の素材としてよく使われている 江戸時代の浮世絵師、喜多川歌麿が描いた蝉 ニューヨーク・メトロポリタン美術館 に所蔵されているもので 同館から1984年に出版された Songs of The Gardn Utamaro に掲載されているものです この蝉はヒグラシとなっていますが どう見てもニーニーゼミですね トウモロコシに止まっているのが 何とも云えぬ不思議さです・・ 百喜斎森角の狂歌が添えられています 人目よし ちょっとこのまに 抱ついて せはしなきねは ひくらしかそも 同じく歌麿が描いた蝉 これはヒグラシでしょうか こちらは糸瓜(へちま)に止まっています 三輪杉門の狂歌 うき人の こころは蝉に似たりけり 声はかりして すがたみせねは 浮き人の心は蝉に似たりけり 声ばかりして姿見せねば これは高島北海が描いた蝉 日本経済新聞社刊 「高島北海画集」から部分転載 これは明らかにクマゼミです いっしょに描かれているトンボの 描写力も凄いものです 高島北海の絵は南画風でありますが その描法でピレネー山脈やアルプス山脈などの スケールの大きな大自然を 描いているものもあります その空気の表現は大変すばらしく 息を呑んでしまうほどです なかでもナイアガラの滝図の 六曲屏風には圧倒されてしまいます 布に織り込まれている蝉 着物の柄の一部です 翅は金糸で織られています 金糸、銀糸などで様々な虫が 織り込まれています 通称「虫尽くし」と云われている 絵柄で、光の当り具合で 見えたり隠れたりします 上の方に黒っぽい糸で織られた蝶 蝉の下にはアブのようなものが見えます それから中央部に銀糸でトンボが その下にはカタツムリ その下の黒いものはアリと 何かの甲虫のようです 最下部には金糸の蝶がはっきりと見えます これは天地を逆転したものです 着物の絵柄は天地が 決まらないように描かれます こうして見ると、クモ、カマキリ カエルが見えてきます 他にも不明な虫が何匹かいます この古裂(こぎれ)はかなり古そうです 江戸時代のものかもしれません これは高村光太郎の木彫作品 檜(ひのき)材が使われている ということです ここでも紹介されています また、ここでは 「エジプト人が永生の象徴として好んで スカラベのお守を彫ったように 古代ギリシャ人は美と幸福と平和の 象徴として好んでセミの小彫刻を 作り、装身具などの装飾にした」 と述べられています そういえば、下に紹介しているゴッホの手紙では 「あのソクラテスの仲良しの 蝉だけが残っているのです。 そしてここでも確かに蝉たちは今も尚 古いギリシャ語で歌っています。」 という件がありますが、 何か関連があるのでしょうか・・・ ちょっと調べてみたら、小泉八雲も そのことに言及しています 参考サイト 江戸時代の浮世絵師 歌川国芳が描いた蝉 「昔浮世絵木版画」から空蝉うつせみ カエデの葉に止まった クマゼミと思われます うつせみの 身をかへてけり このもとに 猶人からの なつかしきかな 江戸時代中頃の画家 伊藤若冲じゃくちゅうが描いたもの アブラゼミは判りやすいです 小学館発行「伊藤若冲の動植綵絵」から部分転載 蝉が止まっている植物は何でしょうか これが全体図です「池辺群虫図」 蝉が止まっているのは 瓢箪(ヒョウタン)の蔓でした 実の形状もいろいろあります 若冲は鳥を描くのが得意だったようです 鳥を描いた画面は鋭く厳しいのですが こういった小動物を描くと ほがらかな画面になるのです これは若冲が50歳の頃描いたものです これも若冲が描いた蝉 77歳のときに描かれた「菜虫譜」(絵巻物) に描かれているものです さらに柔らかな雰囲気です これもアブラゼミのようです 木村荘八が描いた蝉 荘八ワールドに満ち溢れた文字と絵です 篠山在住の画家円増肇さんが 描いたアブラゼミ 円増さんの絵は他にも数点掛けていますが どれも円増さんの生き物に対する 慈しみが溢れています それでいて、凛とした緊張感があるのです これは北斎の門人である 葛飾為斎(いさい)が描いたもの 元治元年(1864年)に刊行された 「花鳥山水細画図式」より ミンミンゼミか・・・ これは刀の拵え金具の意匠図 作者は上に同じく葛飾為斎 蝉の下に描かれている楕円の線は 柄頭つかがしらの形状である ツクツクボウシか・・ 渓斎英泉けいさい えいせんが描いたもの 文政11年(1828年)に刊行された 「画本錦之嚢」(えほん にしきのふくろ)から これはツクツクボウシでしょうか ハルゼミでしょうか・・ さすがに実力派の英泉、見事です 江戸時代中頃の画家 円山応挙の写生 これは明らかにアブラゼミですね さすがにきっちりと描かれています 応挙の実力のほどがよく伝わってきます 下に紹介している「井蛙抄」の 画図作者である橘守国と ほぼ同時代の人です どちらも狩野探幽の流れを 受けていますが画風は全く違います 興味深いです 19世紀末、オランダの画家 ゴッホのデッサン 同朋舎出版刊「ビジュアル美術館・ゴッホ」 から部分転載 これはフランスに生息している蝉 ゴッホのデッサンが 立体的に描かれているのは ゴッホの個性、あるいは西洋人の感覚か と思ったりしたが 当地の蝉を実際に見てみると 形状が日本の蝉とは ずいぶん違っていて ゴッホのデッサンはそれほど 誇張は為されていないことが分かる ゴッホの蝉は病気療養のため 南フランスのサン・レミに居たときに 描かれたもの 1889年にテオに宛てられた 手紙で(日付はありません) 「ぼくはこの土地の蝉のスケッチを同封した。 炎暑のさなかに聞く蝉の歌は、 故郷の百姓家炉辺のコオロギと同じように、 ぼくの心を惹きつける。 弟よ、ささやかな感動が ぼくらの人生の指標になり、 知らず知らずぼくらがそれに 従っていることを忘れずにおこう。以下略」 みすず書房刊「ファン・ゴッホ書簡全集」から 宇佐美英治訳 それとは別の手紙では 「外では蝉がミンミンと声を限りに鳴いている。 コオロギとは比べものにならない強い声。 そして日に焦げた草はみんな美しい 古代金の色調を帯びている。 南仏の美しい町々は 昔は栄えたが今は疲れ果てた ズイデル海に沿った故国の 古い町々に似ています。 物がみな滅び移り変わったなかで、 あのソクラテスの仲良しの 蝉だけが残っているのです。 そしてここでも確かに蝉たちは今も尚 古いギリシャ語で歌っています。 ぼくらの友イサークソンがあれを聞いたら さぞ悦に入ることでしょう。 以下略」 江戸時代中頃の宝暦二年(1752年)に 出版された「井蛙抄」せいあしょう という歌論集から これも北斎が描いたものと同様 蝉には見えない ハエかアブのようである 画図作者は橘守国 版木の彫工は藤村善右衛門 画家の橘守国(1679〜1748)は 狩野探幽の孫弟子で 版木の細密画を得意としていました これは全体の図 木に比べてずいぶん大きな蝉だが これは小判本(縦18cm、横12cm)の ためだと思われます 蝉が主役の頁ですから なくせみの はにをく露に 秋かけて 木陰すずしき 夕くれの声 鳴く蝉の 葉に置く露に 秋かけて 木陰涼しき 夕暮れの声 夕暮れに鳴く蝉だから これはカナカナカナと鳴く ヒグラシ蝉だろうか・・・ 上に同じく橘守国が描いた風景画 のどかでほのぼのとした世界に 心が穏やかになります 作者の人柄がよく伝わってきます 正徳5年(1715年)に刊行された 絵本初心柱立から 橘守国の刊記を紹介しておきます 絵本類書世に多し 今改むるにはあらず 筆勢愚なるは 至らざらんゆへと御ゆるし給へ 唯初心の便にもなれかしと思のみ 安永7年(1778)年に刊行された 「群蝶画英」から 作者は英一蝶はなぶさ いっちょう 室町時代(15世紀)の画僧 愚庵(ぐあん)によって描かれた蝉 バーク・コレクション これはどう見ても蝉には見えない 愚庵さん、実物を見ずに 描いたのだろうか・・ これが全体図で、葡萄樹が 描かれたもの この絵は実物も目にし 図録も何度も見ているのだが これまでこの葡萄の蔓の先に 描かれているのが蝉だとは 気付かなかったのです 図録の解説でも「蔓に止まった蝉・・・」と 述べられているので、一応蝉なのでしょう・・ 翅はねと脚は明らかに蝉ですが その付き方、全体のバランスは かなりおかしいですね 翅の透明なところと胴体の色から クマゼミだと思われますが・・ 画像の無断転載禁止 Home |