八音抄について


群書類従に収められている琵琶に関する記述
「八音抄」
(鎌倉時代初めに藤原孝道により書かれたとされる)を全文紹介しておこうと思います(データベース)。これは楽器作りの本質が述べられているのですが、西洋の楽器製作の技法書では、こうした客観的ではない記述はなされません。ですが、イタリアのヴァイオリン製作者の仕事ぶりを見ていると、「八音抄」で記述されているようなやり方で、楽器の各部位の反応を確かめています。
ですから、こういったことは西洋では記述されなかったとしても、口伝として師から弟子へと伝えられていたものと思われますが、このことは体感するもので、また、全く個人の判断力に委ねられるものなので、人に伝えることは不可能なことでもあります。ですが、「八音抄」は楽器を製作している者にとっての大きな羅針盤であると云えます。レベルの高い楽器を作るための道標です。分野を問わず、楽器製作者の参考になればと思い紹介します。
原文は平仮名が多く意味が掴みにくいので、適宜漢字仮名交じりに書き換え、意味が判りにくい箇所は補足しました。また、旧字は現代漢字に直し、必要と思われるものにはルビを付けました。
間違いなどありましたら、ご教示いただくと助かります。
文中、琵琶の絃
(弦)のことが述べられていますが、琵琶の一弦は最低音で、四弦は最高音を示しています。つまりギターやヴァイオリンなど西洋の楽器とは逆の呼び方をします。


八音抄
琵琶の古き名物のうち世の中に残りたるもの八面あり。玄上(玄象)げんじょう牧馬ぼくば、良道りょうどう、木絵もくえ小琵琶こびわ井手いで渭橋いきょう、元興寺がんごうじ、以上めでたき物なり。小琵琶は音小さかりけるによりて、知足院殿の御時、内を刳りたらば音出できなんとて、有行といふ陰陽師おんみょうじ召して御占ありて、また慶教僧正と申しけるめでたき人して御祈ありて、腹を放ちて(表板を取り外して)内を刳られて、聊かいささか音出で来たりと日記にありとかや聞きおきたり。それに去る承元二年(1208年)八月十四日、三条白川(京都)の御所院の御所にてありし頃、俄に召しありて参りたりしに、この小琵琶を大隅守おおすみのかみやすなりという者にいたさせおはしまして、これが声(琵琶の音)の小さくおぼしめす。腹をも放ち換ふべきは換へもし、いかにもし、声大になしてまいらせよと仰せありしかば、是は世あがりて一沙汰候たる事なり、今いふかひなく候身にていかが候べからむといたみ申しかども、ただいかにしても声大にして為しまいらせよと仰せありしかば、打ち返し引き返し引くなどして、よくよく見しに、覆手の悪しきと見い出して、きゆすの木(材種不明)にて厚く肉下げに作りて、ひきひきと付けたりしかば、白辛の木(材種不明)豊かに作りて付けてみば、声や少し出来もせんと思ひて、その由を申しかば、まして覆手ばかりならば速すみやかにとくとく作り換ふべき由仰せありしによりて、覆手作り換へて同月十八日付けて持ちて参りしかば、神泉へ御幸なりたりし還御に、小御所に作まうけて見参に至りし。琵琶繕ひて参りたりやと仰せありしかば、具して参りて候と申し、御前に人少々候しうち、中へ参れと召して、琵琶を黄鐘調(おうしきちょう・調弦の一種で開放弦低音からA-c-e-a)に調べあそばして御覧じて、なか家(人名か?)いかにと仰せありしかば、めでたく候、元の音には露も候はず、あらぬ物に候と申しかば、孝道はいかが云ふと、木工權頭清実に御尋ねありしかば、利口し候はん者は半分とも申し候べけれども、三分一は声出で来て候とおぼへ候と申し候と申しかば、又しばしあそばして、よくすぐに申さむ者は三分が二は出来たりと云ひてむ。めでたしなど仰せありて、やがていらせおはしまししかば、人々あなゆゆし、あなめでた、高名いかにいかになど口々に云ひ合ひたりき。なか家はさせるその事にたへたる琵琶名物等作様では、たりたる:足りたる、か)にはあらねども、物をよりより聞き知り見知りたるものと君もおぼしめしたり。又実にもさある賢さかしき物なり。 これは身にとりては今も昔もなき程の高名とこそおぼゆれ。琵琶を作らむと思はば、この名物の八面みな作り様も音も良き物どもなり。これらをこそ写すべきに、中比よりの物どもは一としてこれには似いみたるもなし。作り様よりはじめて、声もさせる事なき物どもなり。

蓮華王院の宝蔵に賢円(
文机談では賢円の撥面は鹿革と説明あり)、御前丸とて琵琶二面あり。賢円まことに音美しけれども、雑木の甲(裏板:槽とも呼ぶ)にて見目いとあやしげなり。甲は桑つみ(木目が詰んでいるの意か?)、腹(表板・響板)は白めなる槻(欅・けやき材)の柾目、腹の割れたる端せわには、木目のとほり程に二方ながら樫かしの木を入れたり。御前丸は紫檀の伏甲(接ぎ合わせた甲板)なり。うち聞きたる誠に良き物なり。既に宝物になりにたり。されど、したたか二・三日も弾きなやしては、音失せむずるものなりと見き。是はゆゆしきおこの申す様なり。近衛の大殿殿下に「十二時」という御琵琶あり。雑木の甲の見目、音高鳴る琵琶なり。此の他、我も我もと良き琵琶持ちたりげに思ひ合いたれど、皆指事なし。必ず良き琵琶を引懸取りたるとて、良き事あるまじけれども、思へらくば良からむ学ぶべきにや。たとい声(琵琶の音)思やうならずは、見目だにもさる体にありたきぞかし。この頃、世にある琵琶の弱みたるは、腹薄くて事々しげにわわめきたり。腹薄く、堰せき(表板の裏側に接着される補強材)細き声どもしたり。よに悪しきことなり。昔は木の性も良かりければ、少々作り殺したる(作り損なう)も悪しからず。世の末の似非木にて琵琶作らむには、構えて作り殺すまじ。 箏は三分(約9mm)、琵琶は四分(約1.2cm)と細工は云ひおきたるとかや云へども、四分にて作りてん琵琶はいたずら物なり。四分と云えば寸法のつもり、しかれどもその意は万の事を四分にて計らふべきを云ふなるべし。甲の厚きは無下(最悪)ならむ。定六・七分(約1.8〜2.1cm)には落とまし。おほ様(凡そ)は、良からん琵琶の引懸を取りて作りまはして、その高さは一寸二分(約3.6cm)ばかり。遠山の方は高し。落帯の下の程は今一分(約3mm)ばかりも劣りたるなり。

にかわ付きの面(接着面)は四分(約1.2cm)に弱きほど内の深さは五分(約1.5cm)にいきたる程少したをみ(撓み)たるやうにゑる(彫る)べし。すぐにゑりたるは悪ろし。中の窪さは、おほ様(およそ)甲の外のあかに行き合う程にすべし。 二に取らば中厚はすとも、中窪になどし過ぐすべからず。遠山の方は少し薄く、膨らみの方は厚く様に心がくべし。云ふ心は、広き方は厚く、狭き方は薄く、くつろげ合わせん了
(了見)なり。さればいきふかにいよいよあるべきなり。頸の根の下を選り残すこと一寸五・六分(約4.5〜4.8cm)に過ぐまじ。堰を置くこと撥面中すみの程あるべし。中すみより上へ寄るべからず。二に取らば下へ寄るべし。広き方はしもと云う堰の下がり上がりによりて、声の良し悪しは未だ探り出ださず。堰は板返し固からず、又柔らかならず。木の少し勇めきたらむ良し。堰に別の柱を立たさまにしたるあり。さあるべしとも覚えず。良き物どものは、別の柱をす。ただ刻み残したる長さ二寸(約6cm)ばかりも 一寸四・五分(約4.2cm〜4.5cm)もありげなり。すべて甲・腹の木少しおくれたらば堰は太くもこはらか心ざすべし。甲・腹固くしやう過ぎたらば、くつろかにすべし。この頃、琵琶の腹を中薄に削りたるあり。よに悪し。誤まりては中はよく厚かるべしとこそおぼゆれ。ただ内をば垣板の様にすく、美しく削りて、堰はそれ唸れば、いくらも踏み逸らして、めぐりをば良き程に削り為しつれば、少し中厚なるべし。腹の事、重ねてこれを書き入るべし。

玄上
げんじょう(琵琶の銘)の修理の度に音の変はるは、つくの置様によりてなり。古き琵琶の所に申したり。覆手は硬き木のよきなり。いたく厚かるまじ。頸は少し反りたる良し。いたく太かるまじ。撥面は厚かるまじ。薄くいたくなる皮良し。この声は作りたてて弾きみんに、音のありやうに随ひて直すべし。これらのことは古き琵琶の所にあり。これみな一つも人に問ひたる事なし。いづくのいかなるが良し悪しと云ひたる人もなし。 只二十余年の間、心に入りてまめに習ふたりし故に、とかくしてみてゆきたる心どもなり。ただよくよく琵琶を多く見、損じたる物を繕ひてみたる故なり。琵琶は四・五尺もさしのきても(離して見ても)おろおろ(凡そ)善悪は見ゆるなり。まして、ちと大指の先などにて打ち叩きつれば、塵ばかりの不審もなし。腹をきとやをら叩きて聞くに、おほ響きに滔々と鳴る。撥面の中の程を又叩けば固く響きて強く鳴るが良きなり。いづくも一様に鳴るは悪しし。目(半月のこと
)の下、撥面の上の程はゆるやかになり、撥面の下は固くなるが善となり。一様にとは固くも柔らかにも撥面の下と目の下の同体になることなり。腹の反りはむらもなきが善なり。撥面の程のいたく高きはその程の薄き嵩かさはあるなり。目の中の程いたく高ければ、絃に打たれてからめく事あり。いたく反りなきは音に正念なし。隠月と目とはいたく広かるまじ。牧馬ぼくば(琵琶の銘)は両の目鼠ねずみにかぶり開けられ、隠月広けれども声良し。それは別の事なり。玄上、牧馬などになりぬれば、いづくいかなりといふ事あるまじ。但し玄上はいづくもめでたく作り、見目美しき琵琶なり。されば声も牧馬には遥かに勝りたるにこそ、牧馬も甲・腹とも見目めでたき物なれども、玄上に少し作様劣りたることもあれば、声も等しからぬにや。古き記にはその声玄上と同じほどのものなりとあれど、のす(伸す・音の伸びのことか?)ところは玄上は勝りたりと聞こゆ。

又、さる物語のあるかとよ。確かの事は聞かねども、古く語り伝へたり。井手
いで(琵琶の銘)はなべての(ふつうの)琵琶よりはそはの事の外にひきにて、纔わずかに甲六分ばかりあり。腹の反り殊に高し。それによりて覆手ゆゆしく高し。覆手の高さはなべて四分(約1.2cm)とこそ申せども、腹の反りに従うべし。五分(約1.5cm)ばかりもあり。井手は七分(約2.1cm)ばかりはあり。されど極めて見目美し。音も殊に美し。いたく美しくて、たくましき所ぞいかがと覚ゆれども、音勢もあり。甲は何にてあるかと云ひ伝えたるらむ。見ゆるところは花梨木の目(木目)細かに良かりけるやらんとぞ見ゆる。これが良ければとて、その定めに悪しく写したらむ琵琶は、いたく良からずもやあらむずらむ。すべて善悪聞かず、多く見も多く弾きもして、よく心をめぐらし案じて琵琶は作るべきなり。ただうち古き引懸ばかりに作りて、善悪を木に託つかこつは、かく愚かなる事なり。ただし雑木は力なし。よくよくかやうに案じめぐらして、作りたる程に、四筋の絃まちまちに声変はる。甲・腹厚く、覆手こはく、頸太き琵琶は音小さくて、三・四の絃はよく鳴りて、一・二の絃は鳴らず。腹薄く、覆手柔らかに、頸細くなりぬれば、 一・二の絃は音勢あれども、三・四の絃鳴らず。すべて声かしこき琵琶は、一・二の絃少しおろかなり。声おろかなるは三・四の絃ならず。一・二の絃はよく聞こゆ。ただし遠くて悪し。されば腹は厚くてくつろぎ、覆手は薄くて硬く、頸は細くて強きが良かるべきやらむ。

もと悪しからずなる花梨木の甲の琵琶に紫檀伏せて
(取り付ける)と御あつらへ(誂え)ありしかば、伏せしに元の腹狭ければ、こと(異)腹を伏せむずるに腹なし。私の琵琶に伏せたりし腹の声は良くて、一の絃の声悪しきを腹の悪しきと捨てたりしを、しばしとて伏せてみれば、声殊に良くなりて、一の絃もいたく良くなる。これを案ずるに、私物の獅子丸(琵琶の銘)は、膠付き(接着面)薄き琵琶なり。この紫檀のは、膠付き厚きことあり。これによりて、一の絃の声良くなりたるにこそとて、その後、膠付きを良きほどに計らひて後、一の絃良くなる。又、いたく膠付きの厚きは、 一・二の絃は左右なし。三分(約9mm)よきほどなりにとりて、落帯の下ほどは四分(約1.2cm)にかかりたる程なるよし。


群書類従で説明されている当時の琵琶。


転手
(糸巻)から絃が延び、海老尾と首の折れ曲がったところに
絃が乗るところを現在の平家琵琶では承絃と呼びますが、
その部分は垂絃となっています。


平家琵琶で鶴首
(頸)と呼ばれるところは鹿頸(ししくび)となっています。
これは筑前琵琶でもそう呼ばれています。


甲板の材質がいろいろ書かれていますが、最初のシタンは
紫檀のことと判りますが、以下のクワリボク、クロツミ、コツキ、
ユシホツメ、ミツノ木、アワスハウ
(阿波産の蘇芳の意か)
ハラハシ、ホチノ木は現在のどのような木なのか皆目分かりません。

りやらめく」について

八音抄を参考に製作した
平家琵琶銘・白鷺
 銘・月影

銘・相応 2017年新作

平家琵琶製作工程

順徳院琵琶合


琵琶の歴史について

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