芸術について その一 自然という秩序から生まれ存在している人間が、秩序を求めるのは当然のことなのでしょうか、それとも不思議なことなのでしょうか。芸術というものの存在はほんとうに不思議です。たとえば音楽というものは、ただ音が繋がっているだけです。なのに、それに秩序があるとどうして人間は感動するのでしょうか。バッハという人が見ていた、あるいは感じていた世界は我々凡人が伺い知ることのできないものなのかもしれない。それでも感動してしまうのは何故なのか。 自然は複雑な構造で単純なことを行う、あるいは作り上げている。芸術は単純な構造で複雑なものを表現する。芸術は単純なほど偉大である、という先達の卓見はいつの時代でも、時折振り返ってみる必要があるように思います。 以前、知人から様々な物の拡大写真を見せてもらったことがあります。それが、どういう技術を使って撮影されているのかは忘れましたが、動物や植物の表面をかなりの倍率で拡大し、それを立体的に撮影しているのです。ぱっと写真だけを見せられると、何がなんだか判りませんが、凄い存在感に圧倒されます。現代美術、前衛芸術、みんなブっとびますね。知らぬが仏ですけどね。 おもしろいことに、動物の、たとえば昆虫の羽の表面とかは拡大すると植物的なんです。サボテンが群生しているような。反対に植物の表面を拡大したものは動物的、たとえばワニの皮とかトカゲの皮膚のようになっているのです。何といういたずらでしょうか。 作曲家の吉松隆さんが口にされていることで、聞き逃せないことがあります。この方は現代音楽は認めていない。いや、それよりももっと過激で、潰れてしまったほうがいいとまでおっしゃっている。 私もまったく同感なので、調子に乗ってここで煽ってしまおうかなと思っているのです。美術の世界も同じです。子供の砂遊びと何ら変わらないものが芸術だと大手を振っている。それを上げ奉っているジャ−ナリズムにも問題はありますが、そのことに表だって反論する人がいないのも不思議なことです。ま、個人の趣味の問題ですからね、現代音楽、現代美術に携わっている人は、それはそれで苦労されているのでしょうから、ほっとけばよいことなんでしょうけども、吉松隆さんのように敢えてそのことに言及するというのは大変勇気がいるし、またよほどの自信がなければ言えないことです。こういう人がいて下さるということは、まだまだ世の中捨てたものじゃないようですね。 「僕は、涙の出ない音楽は信じない。」 吉松さんの言葉です。 作曲家のシェーンベルクと画家のカンジンスキーはほぼ同時代の人で、およそ100年ほど前の人ですか。この二人の芸術家は違う分野で同じようなことを行いました。それまでの伝統といいますか、フォ−ム、形式を無視することを、あるいは破ることを試みた。抽象芸術の元祖とも云っていいのでしょうか。これはあくまで私の判断ですが、絵画では成功しましたが音楽ではちょっと無理だったようです。 絵や音楽といったものは、人間の生理とは切っても切り離せないものですから、ここのところの限界、境界を破ると、それはもう絵や音楽ではなくなります。そういった意味では、シェーンベルクとカンジンスキーはここのところは十分判りきっていたと思うのです。それを敢えて試みたといってもいいのでしょう。たとえば、絵だったら見たくないと思えば目を閉じれば済みます。ところが音楽は聴きたくないと思っても、耳を閉じることができない。この違いはそのまま、絵と音楽の、人間の生理を無視する度合いの大小に直結していると云える。ですから同じようなことをやっても、絵ではなんとか成功したが、音楽では失敗した。 人間の生理といっても人によって様々でしょうから、こういう試みの結果というものが出るまでには年月がかかるということは想像できます。もう100年は経っているのですが、共産主義、社会主義の大きな実験はこの100年で、ソビエト連邦の崩壊という明らかな結果で確認することができましたが、芸術に関してはどうなのでしょう。これは一筋縄ではいきそうにありませんね。ギタリスト、西垣正信氏の言葉、”音楽は究極のマンネリズムである” バッハやベートーベンは今でも多くの人に感動を与えているのです。 ジェイムス・ジョイスについて少し。 作曲家のシェーンベルクと画家のカンジンスキーが試みたことを、同時代のジョイスという人は文学で行いました。つまり、形式を無視あるいは破壊したんですね。絵画ではなんとか成功したが音楽では無理だった、と私は判断してますが、文学でもだめですね。音楽ほどではありませんが・・。 ジョイスの「ユリシーズ」という文学作品は、一言で云えば駄洒落の連発、これが延々と続くのです。日本語版で3巻2000ページ近くあります。これは1922年パリで出版され、ロンドン、ニューヨークと続き、1964年には日本でも出版されているのですが、毀誉褒貶甚だしい事この上なしといった反響だったのです。ある人が今世紀最大の文学だと言えば、ある人は蛆虫のようなものだと言うといった按配です。10年ほど前(1990年代)にも新たな訳で日本で出版されたようですが、見方によれば、これをよくぞ訳したものだと感心はできるのですが、こういった実験は、やるのは勝手ですからね、どんなことでもやっていいのでしょうけども、こういうことは、我々木工職人のカンナ屑や鋸屑を人に見せているようなものなんです。そんなものは恥ずかしくて人様には見せられない代物なんです、本来は。 演奏家でいえば、ある曲を人前で演奏するために練習をしますが、この練習過程をずっと録音しておいて、それを人に聞かせているようなものです。その量たるや膨大なものでしょう。「ユリシ−ズ」を賛美する人の中には、ダジャレもこれだけ膨大な量があるとすごい存在感である、なんて褒め上げているんですからね。カンナ屑や、練習量というものは人様には関係のないものなのです。生活の苦労と一緒です。こんなものは人に見せるものではありません。職人は作品を、演奏家は出来上がった音楽を人様に示さなければならないのですね。こういった最も重要な根っこのところを見失ってはいけないのではないのかな、とついつい思ってしまうのです。 市川団十郎の外郎売りの科白(ういろううり の せりふ)というものがありますが、これなんかは役者さんの言い回しの練習以上のものではないでしょう。それでも「ユリシ−ズ」よりは楽しめますけどね。 きょうは、午前中、仕事をしながら久しぶりにモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴いていました。聴きながら、ふだん漠然と考えていることが、少し形になったような気がしたので、ちょっと吐き出しておこうと思うのです。 演奏をしている者とそれを聴いている者、それぞれの立場により、芸術的催眠あるいは覚醒の現れ方は違います。奏者の紡ぎ出すメロディに聴衆が陶酔しているからといって、奏者も同じように陶酔しているとは限らない。聴衆を芸術的催眠状態に誘うためには、奏者は覚醒状態にある必要があるのかもしれない。これは充分にあり得ますね。木工職人が、いま自分が使っている刃物の切れ味に酔っていては良い仕事ができないように、奏者が自分の演奏に酔っていてはレベルの高い音楽は作り出せません。これは作曲家にも云えることかもしれません。作曲家が、どの程度の覚醒状態で曲を作ったか、言い換えると、どの程度自分を突き放して見下ろすことができるか、この程度の差はそのまま、ベルクソンの云う、意識の、現実への関心の深浅の程度の差と相関しているといえます。モ−ツァルトはおしゃべりをしながら譜面にペンを走らせていたというのは有名な話です。”霊感は自然から直に来た” と画家のルオーは詩人のシュアレスに宛てた手紙に書いていますが、たとえ神がかりになったとしても、その状態に振り回されていては、何事も成らないのは古今の偉大な宗教家の言葉に共通しているところです。その状態を冷静に見つめることができるもう一つの目が必要で、これをベルクソンが云っている悟性と云ってもいいでしょうし、心眼と云ってもいいのでしょう。宮本武蔵も五輪書の中で同じことを云っています。シャガールの絵とルドンの絵には、この違いが見てとれます。音楽家に言及するならば、モーツァルトのレクイエムとシューベルトのそれにもこの違いがあります。このことは、文学者の一流、二流の違いと同じことだとも云えます。 ヘ−ゲルが云っている絶対的精神の顕現がこの物質界だとすれば、絶対的精神(形而上のもの)と物質界(形而下のもの)の接点の様子を直観した者は、驚きをもって人に伝えたくなるのは人情というもので、ベルクソンはまさにそのことを直観したに違いないのです。 カントがわずかに垣間見たものもまさにそれで、かすかに掴んだ糸口を手繰り寄せることができずにカントは力尽きるのですが、カントにとっての糸口だった芸術にカント自身の判断力は及ぶことができなかった。そこのところをシラーは真っ先に指摘したわけですが、そうすると、人間の限界のレベルの高低を云々すれば事が済むのでしょうか。客観を定めれば足りるのでしょうか、このことはそう単純ではなさそうです。 ルオーは自然からの霊感を絵にするということで、モーツァルトは直観した音楽を楽譜にする、という肉体作業で事は済みましたが、哲学的直観はそういう訳にはいかない、ということを、ベルクソンという人ほど明らかに証明した人はいないとも云えます。ヘーゲルの論文を読んだことがないというベルクソンが、ヘーゲルと同じものを直観していたという意義はここのところにあるとも言えます。 先に述べた、実在界と物質界の接点が水と油の境のようにはっきりしていれば事は簡単なのですが、傾斜金属のように接点がぼやけているという、そのことだけで、古今の大哲学者たちを悩ませ続けてきたのです。ぼやけた接点が、 芸術であるということに気が付いたものの、傾斜のどちらに片寄るかによって、直観したものを人に伝える難易の度合い、あるいは、両者の混じり具合を詳細に説明する困難の度合いが違ってくる。哲学者たちは、それに振り回されないように足を踏ん張るのが精一杯といった状態で、その困難に挑んでいったのです。 ベルクソンは、その姿を人前に晒すことでしか伝わらないと悟っていたかのようです。ヘーゲルよりも実在界と物質界の境を詳細に説明することを試みていたということに、ベルクソン自身は気付いていなかったようですが、そんなことはベルクソンにとってはどうでもよいことだったのかもしれません。直観の輪郭をいくら辿ったところで、硬貨を人前に差し出して見てもらようにはいかないところが、もどかしいところなのです。 先に書かせてもらった、ベルクソンのことについて、もう少し。先日、京都での白隠禅師の書画展を見に行った折、ショップで白隠さんの法語録を購入しました。私事になりますが、私は15才の頃、仏教にかぎらず宗教というものにたいへん疑問を持ち、キリスト教の神父さんだったか、牧師さんだったか忘れましたが、そのような人たちにいろいろと疑問をぶつけたり、と、そんな生意気な子供でありました。それから、自分なりに仏教書などを読みあさりまして、そのときにたまたま手にした禅問答の本に大変減滅しましてね。それ以来、禅宗に関しては食わず嫌いのところがあり、これまで白隠さんの書かれたものなどは読んだことがなかったのです。 ところが、今回恥ずかしながら初めて白隠さんを読んで、驚いてしまったのです。で、白隠さんは江戸時代中頃の人ですが、それでは、禅宗の祖といわれる鎌倉時代の栄西さんや道元さんはどんなことを言っていられるのかなと大いに興味が湧いてしまったのです。それで、これも恥ずかしながら、初めて道元禅師の代表的な著書「正法眼蔵」に、今、目を通しているのですが、先に書かせてもらった形而上と形而下の境目について道元さんも言及されているのです。 その一節 心身を挙して色を見取し、心身を挙して声を聴取するに、したしく会取すれども、かがみにかげをやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。一方を證するときは、一方はくらし これは全くヘーゲルやベルクソンが直観していたものと同じです。ということは、宗教や、哲学を問わず、また、洋の東西を問わず、人間というもの、それから自然というものを追求していくと、たどり着くところは同じだと云えます。あたりまえと云えばあたりまえのことなのですが、認識のしかたの程度により、それから社会的な要素が絡んできたりすると、これらの真理が歪められて、戦争の原因になったりするのです。大変に厄介な、しかしながら捨てておくことはできない重要な問題なのですね。 プラトンは、その著書「国家」で芸術は国家には必要はない、というようなことを云っていますが、これは誤解を招きやすい云い方ですね。プラトンの真意は、芸術は国家に従属してはならないということを云いたかったのだと私は解釈していますが、これによって、プラトンが芸術というものの本質を深いところで理解していたということがよく分かります。奇しくも二千数百年後を見通していたかのようです。 宗教や芸術が国家の道具として使われたことの不幸はもう歴史上明らかにされてきましたが、これは、宗教や芸術がきっちりと客観的に判断できないというところに起因している、ということが云えます。西洋では、デカルト以来四百数十年、形而上のものと形而下のものを区別し、形而上のものはやっかいで、一筋縄ではいかないので、形而下のもの、つまり計測計量できるもの、言い換えれば、科学的なものを追求してきました。それを理解すれば自ずと形而上のものも付随して理解できると確信し続けていると云っても過言ではありません。ベルクソンは真っ向からそのことに反旗を翻したのです。 このような、唯物論と観念論という対立する思想は、ギリシャ時代から、歴史の上で交互に時代を席巻してきました。ベルクソンの頃(19世紀後半)もそうでありまして、当時は精神と肉体はパラレルであるという科学的思想が大手を振っておりました。つまり肉体を解明すれば精神も同様に解明できるということですね。唯物論的思想です。現代もどちらかといえばそんな感じですね。有名なあの脳の専門家は、精神現象はすべて脳の反映であるという唯脳論者ですね。 いや、そんなことはない、それは間違っているとベルクソンは19世紀にすでに指摘しているのです。それがベルクソンの代表的な「物質と記憶」という論文です。物質というのは脳です。記憶は文字どおり記憶です。唯脳論では、人間の記憶というのはすべて脳の中にあるということになっています。ベルクソンはそうじゃないと言い、それを証明するのです。脳はコンピュータにたとえればハードにしかすぎず、ソフトは別に存在している。そのソフトが記憶なんですね。精神と言い換えてもいいです。宗教的にいえば魂ということになります。脳はそれを媒介しているにすぎない、あるいは肉体と繋ぐ装置にしかすぎないとベルクソンは云うのです。以前書かせてもらった(今はもう削除してしまってますが)平田篤胤の仙境異聞のテーマもまさにこのことなのです。人間はこの肉体だけの存在ではない。平田篤胤は熱くそう主張しているのです。 二千五百年前に、お釈迦様が菩提樹の木の元で悟られたこともこのことです。お釈迦様の悟りはもっと人間の生活に則したものでした。生・老・病・死という人間の避けることのできない苦しみを乗り越えるすべはある。その方法を発見されたのです。それが苦・集・滅・道といわれるもので、道は八正道のことで、方法論です。前提は、人間は肉体だけの存在ではなく、霊的な存在でもあるということです。このことは、当時のインドでは一般的だったようで、転生輪廻は普通に信じられていましたが、バラモン教のようにちょっと方向が違う教えを、お釈迦様は訂正したりされています。仏教には数多くの経文がありますが、すべては、最初のこの悟りに集約されます。経文のほとんどは、お釈迦様の行状と弟子との対話で、待機説法は相手により様々です。お釈迦様の慈愛に満ちた懐の深さには、胸を打たれるばかりです。 哲学者のヘーゲルは、「美学」の中で、芸術の発展的段階を示していますが、建築から始まり、彫刻などの造形、そして絵画、音楽へと移行し、次には詩へと移り最後は喜劇をもって完成されるとしています。これは言い換えると、形あるものから徐々に形のないものへと移行しているとも云えます。物体でいえば固体−液体−気体−分子−原子となっていくようなものでしょうが、最後には波動となってしまうのでしょうか。音楽などというものは、これは波動そのものと言っていいのかもしれません。 それから、産業にもあてはまるのかもしれません。まず建築に必要な鉄鋼業など生産業、それからこれら生産物を流通させるための商業、運送業、そして付加価値を作り出していくサービス業、それからここ数年発展が著しい情報産業。こうしてみると、形あるものから形のないものへの価値判断を迫られているようでもあります。 最初に述べたヘーゲルの説によると、芸術の中で詩というものはかなり高度なものとされています。このことは、ヘーゲルの言うところの絶対的精神というもの、これは創造神とも云えるわけですが、この創造神が人間というものを媒体として美を表現しようとした場合、困難の度合いが違うということをヘーゲルは言っているのだと思われます。そういうことを踏まえて、日本古来の歌、和歌というもの、それから俳句というものを考えてみると、何か見えてくるものがあるのではないかと常々思っているのですが、いかんせん、和歌、俳句といったものには私自身あまり親しんでこなかったためか、とんと判からないのです。 日本では、昔から歌論というものが盛んに書かれてきました。それから、たとえば江戸時代に職人図というものが出版されたりしているわけですが、この中でもそれぞれの職種の図といっしょに「歌合せ」をやっているのですね。歌合せというのは、二首の歌を上げ、どちらが優れているかを勝負をしていくものです。これこれこういう理由でこちらの歌が優れている、とか、これは引き分けとか判者が解説していくのです。同じように西洋にも同じ時代に職人図というものが出されているのですが、あちらでは売り口上がそのまま書かれているくらいのものなのです。これなどもおもしろいのでいつか紹介したいと思いますが、以前の随想で述べた尾形乾山も手控の中にたくさんの短歌や俳句を書いているのです。 俳句で有名な松尾芭蕉という人は、数学者の岡潔が数十年かけて探求したほどの人物ですが、この芭蕉という人を評したものも、芭蕉の弟子筋の人々により芭蕉没後間もなく世に出されているのです。こういったことをみると、和歌、俳句というものは日本人にとってよほど大切なものだったということがよく分かります。 その二 その三 その四 その五 Home |